島根県邑南町の城跡
ここでは、島根県邑南町・瑞穂地区の城跡を紹介しています。
堀越城跡(慶光坊跡) 写真集
邑南町(旧瑞穂町)山田にある小山にゲートボール場が設けられています。実はここにはかつて、慶光坊という尼寺が存在し、また中世には城郭(土居)が存在しました。城跡については文献が残っておらず、調査上、字名から「堀越城跡」と呼ばれています。
 平成6年、県道設置による工事の為、発掘調査が行われ、城跡に関する郭、堀切、通路状遺構が確認されました。その大半は失われましたが、現在のゲートボール場も郭の一つと思われます。遺物としては、15世紀、16世紀の中国製陶磁器が発見されており、城に関するものと思われます。
     また発掘調査によって、郭だけではなく、石積みや石段遺構も見つかりましたが、中世のものかどうかはハッキリしません。おそらく田畑として利用される際、斜面の補強の為に積んだものとは思われます。
 下で引用している1976年の写真を見て分かるように、まるで出羽地区と和田地区を分断するかのように突き出た尾根に城を築いており、さながら一乗谷の城戸のようです。その立地、様子から考えても、おそらく交通監視の役目があったことでしょう。(撮影:2014年12月)
    
    現在の堀越城跡(Googleマップ)

      平成15年(2003)の航空写真
      (国土地理院国土画像閲覧システムより引用)
    

  昭和51年(1976)の航空写真
(国土地理院国土画像閲覧システムより引用)
  畑として使われていた模様。

東側から見た慶光坊跡

西側から見た慶光坊跡

尼寺のあった場所はゲートボール場になっています。
以前の地面よりも更に削っているそうです。

 西側の斜面

まるで土塁を持つ小郭が北側にあります

  堀切を入れているように見えます。
  ですが、墓の為に作られた道とのことです。

かつてはここに、郭群と堀切が存在しました。

  堀越城跡の測量図
  (『慶光坊遺跡発掘調査報告書』より引用)

  発掘調査時の城跡
  (『慶光坊遺跡発掘調査報告書』より引用)

  西側斜面。石積遺構が分かります。
  (『慶光坊遺跡発掘調査報告書』より引用)

  北側斜面にも石積遺構が存在します。
  おそらく畑や墓地に利用された時のものでしょう。

  石段遺構も見つかりました。
  (『慶光坊遺跡発掘調査報告書』より引用)
 ここからは私の推測ですが、現在のゲートボール場となっている削平地が主郭の城跡であり、その南側を二重の堀切で尾根を遮断したものでしょう。そうなると単郭の館であったのだろうな、と。
   更に発掘調査が行われて判明した郭群は、土橋状の細い郭を持ちながらも尾根上を完全に遮断する堀切が無く、さほど重要な役割を持たなかったのではないかと思います。
   城館としての役目を終え、江戸時代に入って尼寺が建てられ、墓地として利用されたようで、発掘調査によって人骨を含んだ墓穴や「享保十一年」と刻まれた墓石が見つかりました。
  
ともあれ、堀越城跡は邑南町内では一番訪問しやすい城館跡かもしれませんね。
(参考文献)『慶光坊遺跡(堀越城跡)発掘調査報告書 主要地方道吉田瑞穂線改良工事に伴う発掘調査』平成7年 瑞穂町教育委員会発行
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