島根県邑南町の城跡
ここでは、島根県邑南町内にある城跡の詳細を紹介しています。
琵琶甲城(矢羽城) 写真集
邑南町(旧羽須美村)口羽にあった琵琶甲城は別名「矢羽城」とも言い、佐波氏によって築かれたと伝わるが不明。
阿須那に来往した高橋氏によって口羽地域も支配されていたと思われ、その時は「幡屋城」を利用していたと考えられます。享禄3年(1530)毛利元就によって高橋氏が滅亡し、天文12年(1543)ごろ口羽に毛利家重臣・志道広道の次男・通良を置きます。
現在の縄張りは口羽氏時代のもので、通良が築き、その孫の道平が改修したのではないかという説もあります。
以後、毛利家が防長移封になるまで口羽氏の拠点として維持されたのでしょう。口羽氏の居館は現在の宗林寺付近にあったと伝わります。
遺構は、きちんと削平された曲輪に、枡形虎口や石積遺構、長大な竪堀など縄張りの工夫が随所に見られます。
ちなみに「琵琶甲」の名前は、出羽祐盛書状に「ひわのこう」と当時の文献にあるが、「琵琶田」という地名は幡屋城の麓にあるという。(撮影:2010年3月)

琵琶甲城の東、口羽駅側からの遠景
(この写真だけ2009年夏撮影)

旧小学校のグラウンドから宮尾山八幡宮に登る石段があります(地図)。
ここは駐車スペースが十分あります。

宮尾山八幡宮

ちなみに八幡宮には天然記念物「あづまひがん」があります

あづまひがん
この案内表示があるなら、琵琶甲城の案内もしてほしいものです。

八幡宮の右側に、城跡へ通じる山道があります。

しばらく歩き、土橋状の尾根を越えれば城域です。

すぐに何段もの削平地に出会います。

城の南側に小規模の削平地が続きます

谷沿いにダラダラと平坦地が続いています。

やがて広い郭に出会います。「馬場」の名があるそうです。
主郭南側の中腹にある、居住空間と思われる郭です。

その郭の西側奥方向

無造作に案内板が置いてあります。
城山(主郭)方面に登っていきましょう。

中腹の郭から山頂に向かって直線的な竪堀が存在します。
かなり深く、山道を完全に分断しています。

直線を描く竪堀を見上げてみます。
かなりの長さがあります。
1・2
参考文献:『羽須美村誌』・『石見の山城』(高屋茂男 編)・『琵琶甲城跡の再検討』(吉川正 著)
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