島根県美郷町の城跡
ここでは、島根県美郷町の城跡を紹介しています。
尼子陣所跡(美郷町)
島根県美郷町にある「尼子陣所跡」を紹介します。(地図)
天文9年(1540)8月、尼子詮久は3万の軍勢を率いて吉田郡山城の毛利を攻めましたが、5ヶ月かけても城は落とせず、天文10年1月に撤退を開始。厳冬の中、退却戦は熾烈を極め、都賀で敗走兵をまとめ江川を渡河し出雲へ撤退しました。その時に使われたのがこの尼子陣所です。
その後、天文11年(1542)の大内義隆による尼子攻めの際や、永禄5年(1562)の毛利による尼子攻めの時にも使用されたものと思われます。堀切や土塁はほとんど無く、削平地だけで成り立つ正に陣城です。
南北の非常に広範囲に数多くの曲輪跡を残しており、それを取り巻くように県道が走っていますので、登りやすいのですが、案内表示や山道は存在しません。
また、一部発掘調査も行われており、古銭やキセルなどの出土品や、柵跡とみられるピット群が検出されています。
(撮影:2014年12月)
尼子陣所縄張図(寺井氏作図を引用)
図を見て分かるように、Aを中心とした南半分と、BCDを中心とした北半分では縄張りの様子が違います。これは使用年代の違いのようで、南側は尼子氏使用時の様子を残し、北側は毛利氏による改変があったと推測されるそうです。
ちなみに陣所内で最高所はAの部分。しかし主郭はどれか判別できません。
陣所跡南東端に展望台が設けられています。ここも曲輪の一部です。
5年前ぐらいは案内板もありましたが、2014年ではご覧の通り。やる気あるのか。
江川と都賀の町がよく見えます。尼子も毛利も、ここを渡河ポイントとしました。
南端から縄張図面A方向を見ます。何やら工事資材や産業廃棄物の場所になっています。
かつてここでは発掘調査が行われ、古銭やキセル、焼き釜跡や柵列のピット群が見つかっています。
正面の山が陣所最高所のA。こちら側は薮が酷く、立ち入りもできない様子です。
図面BとCの間からが一番突入しやすいです。
図面Bの曲輪。南北に細長く、ここが主郭と言っていいような気がします。
さらに奥に入り、A方向へ行こうとしましたが、薮が酷くて今回は断念。
(Googlemap ビュー)
Bから西方向へ延びる尾根の郭群。植林で手入れがなされているようです。
Bから西方向の曲輪。削平地がよく分かります。(Googlemap ビュー)
図面Cへも行ってみましょう。
図面Cの頂部。帯郭を持つように見えます。削平はやや甘いです。
(Googlemap ビュー)
図面Cの、更に北西方向。削平地が延びています。
図面Cから東方向の郭群。
陣所の東斜面は急峻で、堀切はありません。
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