島根県邑南町の城跡

邑南町の観光名所、歴史の紹介

ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。

邑南町の廃集落「八幡」と「牛ノ市」へ向かってみた(その1)

「牛ノ市」に行ってみたい(地図)。

「牛ノ市」とは、歴史上では、慶長2年(1597年)の豊臣秀吉による朝鮮出兵の戦いに功績があった小林房辰が賜った土地です。房辰はこの地に「牛ノ市城」を築きました。
 また、断魚渓を通る幹線が通じる前は、旧石見町から江川流域に出るには井原田原地区から川本町因原へ出る山道か、中野から牛ノ市を通って田津に出る道の二つしかありませんでした。
 ですので、牛ノ市は近年まで交通の要所であり、その名前の通り和牛の市場が開かれていたそうですから、かつてはかなりのにぎわいを見せた場所でもあるのです。

 しかし、昭和48年『過疎地域緊急措置法』という時限立法により全世帯5戸が転居し、廃村になっています。
 別に牛ノ市城に登る登らないは別としても、そんな廃村に一度は行ってみたいと思うもの。
 >>[関連]邑南町と周辺の廃集落の変遷

 そこで、車で行けるかどうか、試してみました。

旧断魚トンネル
旧断魚トンネル

 旧石見町側から牛ノ市へ行くには、まず「八幡地区」(地図)へ行かねばなりません。

 八幡へは、旧断魚トンネル(地図)の左側の道をまず入っていきます。
 そもそも、この「旧断魚トンネル」すら行くことはなくなりました。かつての国道261号線は、ここを通っていたのですけどね。懐かしいです。

八幡への道
八幡への分岐点

 道を下りていけば、断魚地区の集落が見えてきます。さて、ここには「八幡」へは3キロの表示。
 しかし、先の道はなんだか怪しげな雰囲気があります。大丈夫でしょうか。

八幡への道
八幡方面の、断魚地区最後の家(廃屋)

 一応、断魚の家を訪問して、状況を聞きましたところ、あるお婆さんが「八幡、牛ノ市には車で行けますよ」との答えでした。
「今でも田んぼをやっている人がいるのですか?」と聞けば、「確かいる筈ですけどね」とのこと。

 人は住まなくなっても、田んぼを作りに誰かが行っているとなれば、道は生きている筈だ。

 道は舗装されていて、車で十分通行できます。私は軽トラックで行きましたが、乗用車でも大丈夫でしょう。
 ただ、やはり狭いですよ。

八幡
八幡地区

 そしてやってきた八幡地区です。

邑南町八幡

  既に田んぼは荒れ地と化しています。
  断魚のお婆さん、いつの時代のことを話してくれたのですか……。

八幡

 上は八幡社の鳥居です。結構、きれいにされていますね。
 それと、ここは中国自然遊歩道となっていて、右は荻原山へ通じる道だそうです。誰か歩く人いるのかな?

八幡の集落

八幡の家屋
八幡の廃屋

 寂れた様子が何とも言えません。
 さすが、蔵はしっかり残っていますが、人が住まなくなった家屋は朽ち果てていくのみです 。

八幡

 八幡集落の一番奥にある家。きれいにされていて、生活の匂いがします。どなたかいらっしゃるのでしょうか。

 そういえば、八幡までの道中、道の掃除をしているおじさんを見かけましたが、やはり住んでいる人がいるのでしょうか。
(追加補足:八幡は廃集落とはいえ、元住人により管理されています。猪対策のワナもあり、それを監視するためのカメラも彼方此方に設置されていますので、訪問者は勝手な行動は控えた方がよろしいですよ)

 いやー、ここは雪が降ると完全に陸の孤島になりますよ。かつて日貫の青笹地区へ行って驚きましたが、それ以上の山奥ですよ。

牛ノ市へ

 さて、八幡から「牛ノ市」を目指して、さらに奥地へ車を走らせることにしましょう。

 

 >> さて「牛ノ市」にたどり着けるのか?(つづき)

 

(2008年12月)

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「邑にゃん」とは邑南町の歴史を勝手につぶやく謎のネコである。邑南町公式マスコットとは何ら関係がない。