邑南町の観光名所、歴史の紹介
ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。
旧広島街道 赤谷橋と参勤交代の茶屋
「石州一の難所」と言われた赤谷。旧街道が通り、かつて浜田藩の参勤交代も通った道です。
現在の国土地理院地図
昭和27年の地図
赤谷の案内板(浜田市旭町)
浜田を朝4時に出発した参勤一行は、今市で昼休憩をした後、石浦峠を通り、ここ赤谷で小休止をします。
そのための藩主休憩用のお茶屋があり、草葺き白壁造りで周り縁がついていたという。字名で「茶屋ケ原」が残る。そして「中間」「面屋」の二民家がありました。
屋号「中間」の座敷には床の間があり、刀掛二つがあり、上士はここで休み、下士は二尺の廻り縁にゴザを敷いて休んだという。この家には参勤交代時に使う什器類が預けられていました。
赤谷橋の位置
そして、この都川川には「赤谷橋」という橋が掛かっていました。芸州街道の三名橋の一つだったとか。
『石見町誌』には、安永10年(1781)に赤谷橋の架け替えをするための負担について、日貫村に残る文書を挙げています。それによると、参勤交代時には赤谷に板の仮橋を掛け、ふだんは外していたという。
その後、別ルートの車道ができるも橋はそのまま残り、昭和34年には「中峠橋」と改称している。この時は木橋だった。
かつてここに橋が架かっていた。
よく見ると、橋脚の土台が残っています。
こちらの巨石も、橋に関係するものだったのでしょうか。
向こう側は畑の跡のようです。
昭和33年(1964)の航空写真
昭和51年(1976)の航空写真
戦後の航空写真にも、その姿はハッキリと写っているが、さすがに通る人もなくなり、やがて姿を消した。
橋を越えると、とてつもない急坂が待っている。かつては石畳になっていた。現在でもそれを残す部分があるというが、中峠の道を車道にする際に大部分を取り去ったという。
峠を登りつめた所には周囲六尺内外の大榎があったので、この登り道を榎峠と呼ぶ人もあった。しかし昭和35年前後に枯死したという。
参考文献:石見町誌・旭町誌
(撮影:2021年4月)
関連記事
>> 石州街道石畳
>> 市木本陣跡