戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

邑南町の名所紹介

 ここでは、島根県邑南町にある歴史スポットや名所を紹介しています。

 ※写真が表示されない場合は、ページの再読み込み(リロード)してみてください。

 

◆姫塚…二ツ山城落城での悲しき物語

 邑南町布施地区には「姫塚」と呼ばれる古い墓があります。そこには、二ツ山城が高橋氏によって攻められて落城した時の、悲しき物語がありました。
 以下、紹介します。

 出羽の二ツ山城には富永実佑(さねすけ)という地頭がおり、二人の子供がいました。一人は佑 忠(すけただ)といい君谷(現美郷町)にいました。
 もう人は雪という女性で、その名の通り雪のごとく白い肌の美しい姫でした。

  実佑はこの雪姫に、やがて家臣の堅田九郎に嫁がせようと考えていました。九郎は城の中でも一番の豪の者で、美男と評判の若侍でした。
 正平16年の春、晴れて夫婦になることになった二人の前に難題が持ち上がります。藤掛城の高橋氏から「近く石見国に来る足利直冬公に味方し、川本の小笠原を攻める。その忠誠の証として雪姫を人質として差し出すように」とのこと。
 二ツ山城の富永氏と、小笠原氏とは親交のある間柄、たとえ直冬公の命令でも攻めることはできない。雪姫の人質も受け入れ難く、実佑は高橋氏との戦を覚悟の上で、この話を断ります。
 一方実佑は、君谷の佑忠に急使を使わし、小笠原氏に援軍を頼むことにし、その使者を堅田九郎に命じ、雪姫もつけさせ城から避難させようとします。
 実佑は「高橋との戦が終わったら、佑忠のもとで祝言を挙げよ」と告げ、雪姫に母の形見の美しい塗笠を与えます。

 3月3日の夜、九郎と雪姫は城を抜け出し、人目を避けて君谷へ向かいます。その二人が出た後、高橋氏の攻撃に備えていた味方の兵が寝返り、高橋氏の兵と共に二ツ山城を攻めてきました。周囲の砦は次々に落ち、二ツ山城は敵が放った火によって炎に包まれ、落城します。
 九郎と雪姫は笠取山にたどり着いたものの、既にこの状況を察知した高橋方により待ち伏せにあいます。「あの通り、二ツ山城は落ちた。かくなる上は、姫は藤掛城へまいられよ。九郎はいさぎよく縄にかかれ」と迫ります。
 九郎は「姫を渡すことも、縄を受けることもならぬ」と言って腰の太刀を抜き身構えたところ、雪姫は懐刀を抜いて自らののどを刺したのです。
 雪姫の思いを悟った九郎は、姫の首を討ち落とし、返す刀で敵の一人を討ち取りました。そして君谷に向かい走り去ります。追手は九郎の豪傑ぶりを聞いているので深追いはせず、姫が持っていた塗笠だけ首のかわりに持って帰りました。

 後にこのことを知った村人たちは姫の亡骸をそこに埋め、塚を作り、姫塚と名付けました。

 それから3年の月日が流れたある秋の日、一人の旅僧が姫塚にやってきました。堅田九郎でした。
 姫塚には草が生え、一つの美しい形の石が据えてありました。その石は二ツ山城を眺めている姫の姿に似ていました。
 九郎は「姫、九郎でござる」と呼んでその石を抱きしめました。石は姫の姿にかわり、九郎の腕の中に抱かれるようにもたれかかりました。それは結ばれることのなかった二人の祝言でもあったのでしょう。
 しばらくして二人の姿は消え、石だけが残っていましたが、その石には大きな九郎の掌の痕が刻み込まれるように現れていました。村人は、これを大人の手形と名付けました。大人とは貴人のことで、九郎を崇めて言ったものです。
 今でも、村人は秋の雨が降ると、姫しぐれと呼んで姫が泣くのだろうといい、また風が吹いて山が鳴ると、大人の手形が姫を弔って読経しているのだとも言われます。

 以上が「姫塚物語」です。『瑞穂町誌』などに記載されており、上記文章は『広報おおなん』を参考に致しました。
 伝承とはいえ、堅城二ツ山城を高橋氏が落とせたのも、調略によるものだったことが伺えます。
 姫塚の場所については、美郷町宮内から川本へ抜ける道「滝ケ原横手」にあるそうで、広報では写真入りで紹介されていましたが、私はまだ確認していません。ただ、伝承されているものが3箇所ぐらいあるとも聞いています。

 >> 関連 二ツ山城 写真集
 >> 関連 出羽氏最後の決戦の地・馬野原

 >> 史跡訪問日記:一覧へ

邑南町の城|中世・戦国の石見