島根県邑南町の城跡

邑南町ぶらり写真集

ここでは、島根県邑南町やその周辺市町村で撮影した写真を紹介しています。

旧 日貫トンネル

 歴史探訪をしながら、何気なしに撮影した写真を紹介しています。
 ここでは邑南町日貫の旧・日貫トンネルを紹介しています。(撮影:2019年3月)

新日貫トンネル
邑南町と浜田市の界にある「新 日貫トンネル」
 「新」ということは、当然「旧」があります。
 それは左の「通り抜けできません」の看板がある側道へ入った先にあります。

新トンネルと旧トンネル
新トンネルと、旧トンネルの位置関係。(国土地理院)
 さらに標高で50mぐらい山に登ります。

旧日貫トンネル
旧日貫トンネル。入り口は閉鎖されています(Google 360度ビュー)。
 幅は、車がギリギリですれ違いできました。
 出入り口はコンクリートで固めていますが、トンネル内部は素掘りです。

日貫とんねる貫通記念碑
日貫とんねる貫通記念の石碑。
 トンネルから少し下がった所にありますが、昔はトンネル入り口上にありました。

(碑面)
 昭和二十六年四月着工
 昭和三十年三月竣工
 島根県土木部長 有馬博雄

(裏面)沿革
 交通の成否が文化の度合の象徴である点は今も昔も変はない。
 由来日貫村は交通不便の僻村で文化の程度も低く□之付近一体に豊蔵された林産資源も死蔵され為に産業の不振は永く村長のがい嘆の的だった
 しかるに戦後村の新人山口賀四郎氏が村政を担当すりゃ、逸速くこの盲点をつき地元民の協力を得時の政府並びに県当局を動かし、総工費三千五百余万の巨費を投じ本とんねる開さくの業を起した爾来五ケ年血の滲む努力は遂に報いられ昭和三十年三月完成を遂げ本村開発の多年のがんを切り開いたことは県民斉しく慶賀にたえない
 ねがわくば関係者各位本偉業を永久に銘記し地方産業の振興に資されんことを
 昭和三十年三月三十一日 島根県土木部長 有馬博雄

旧日貫とんねる脇
当然ながら、旧トンネルが開通する前の旧旧道もあった訳で、脇の階段はその道へ登るためのものでした。

旧道
旧旧道へ通じる道

昭和地図
旧トンネル開通前の戦前地図
「才の峠」と呼ばれる峠道で、旧とんねるからさらに標高70m程度登ります。
(地理調査所発行1/50,000地形図「川本」(昭和27.2))

1948年航空写真
1948年の航空写真(国土地理院国土画像閲覧システムより引用)

1964年航空写真
1964年の航空写真(旧とんねる開通後)。

廃墟
付近の集落はごらんの様子。

 旧石見町で言えば、東の難所は断魚トンネル、西の難所は日貫トンネル、でした。
 旧断魚トンネルは昭和12年開通で、現在も使用されていますが、この旧日貫トンネルは閉鎖され、そこへ向かう旧県道も荒れてきており、やがては訪問も困難な場所となるでしょう。
 ネットでは、なにやら「心霊スポット」として紹介されており、たまに訪れる人があるようですが、地元民として心霊関係の話題は聞いたことがありません。
 ともあれ、この旧トンネルはかつての日貫村民の悲願であったことは石碑が物語っています。その熱き思いを、このページに残す。

 

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