邑南町の変遷を航空写真・地図で見る
ここでは、邑南町内やその周辺で廃村・廃集落となった地の変遷を、航空写真や地図で見てみるコーナーです。
邑南町 高水集落
旧田所村大字上田所の中の集落だったが、昭和32年4月1日に旧石見町へ分離合併された。それほど矢上地区と繋がりが深かった。
小学校は明治、大正時代には3キロ下流の中の原小学校若杉分教場へ通っていた。しかし、度々矢上小学校へ委託就学児童として通学していたこともあったという。昭和11年より上田所玉田分校へ、通学補助金として1日5銭の支給があったという。しかし、あまりの不便さと、冬期の過酷な通学状況から矢上小学校へ通学させるようになったという。
昭和47年、時限立法「過疎地域対策緊急措置法」により15戸すべてが移転した。主な移転先は矢上新町、上京住宅、七日市住宅など。
ところが、昭和54年に「いこいの村しまね」がオープン。田所方面と矢上方面から立派な農道が敷かれ、不便さが無くなった。「移転させられたのは、一体何だったのか。だまされた」と憤る人もあったというが、通勤農業がしやすくなり、現在でも廃集落とは思えないほど生きた集落の雰囲気がある。
集落の姓は「三浦」と「日野」しかなかった。
現在の高水(Googleマップ)
昭和27年の高水周辺地図
(国土地理院)
(以下、航空写真は国土地理院国土画像閲覧システムより引用)
昭和39年(1964)の高水
昭和51年(1976)の高水
昭和51年(1976)の高水(西側拡大)
昭和51年(1976)の高水(東側拡大)
昭和63年(1988)の高水
立派な道路が通り、いこいの村しまねが営業しています。
高水地区
写真撮影は2010年3月
かつての動画
>> 廃集落の変遷シリーズ一覧
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