島根県邑南町の城跡

邑南町の観光名所、歴史の紹介

ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。

旧山崎家住宅(邑南町日貫)

 旧山崎家住宅は、日貫の庄屋を務めた山崎家の屋敷です。屋号は「隅屋」。現在、邑南町の有形文化財に指定されています。

 日貫は江戸時代、津和野藩の日貫組に属し、代官所もありましたが、寛政3年に代官所が廃止され、その後は庄屋の山崎家が日貫を取りまとめていました。
 ちなみに邑南町はほぼ浜田藩もしくは天領でしたので、日貫地区は邑南町内でもどことなく特有の雰囲気を持っています。
 その山崎家は山口・大内家の家臣山崎解勘由の末裔と伝えられ、庄屋としては明暦元年(1655)の山崎五郎右衛門が初見。14代の重樹は金融業に携わり、明治18年に山陰地方で最初の普通銀行として設立された濱田銀行の取締役、頭取になっています。
 大正時代では、島根県下で十指に入る大地主だったと言われます。

 山崎家住宅の建造は安永8年(1779)と考えられます。当初は現在の診療所付近にありましたが、安永5年の日貫大火で焼失し、現在の位置に移転しました。母屋は茅葺で、特に屋根を二段にする方法は他によく見るものの、兜状にするのは全国的にも例がなく、庄屋としての威厳を表したものなのでしょう。
 その時の板図には「棟梁大工 銀山料 川登兵七」とあり、大森銀山という幕府直轄地の大工による建築だったと思われます。
 昭和13年に曹洞宗本山永平寺の無邊光照禅師・総持道海を迎えた際に母屋右手の離れ座敷を建て、合わせて母屋も奥座敷を二階建てにするなど改造が行われたようです。
 また、昭和58年の水害では、屋敷前の門扉、中門、蔵2棟などが流失。
 屋根の痛みが激しく、2018年に改築工事と屋根の葺き替えが行われました。

  建物の構造・特徴については、また後日取りまとめたいと思いますが、現在は山崎家から建物は寄付され町所有となっており、中に入ることはできません。ごく稀に地元のイベントが開かれることがありますので、その時が内部を見学するチャンスです。
 (Google ストリートビュー

旧山崎家住宅
旧山崎家住宅 遠景

(撮影:2010年4月)

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「邑にゃん」とは邑南町の歴史を勝手につぶやく謎のネコである。邑南町公式マスコットとは何ら関係がない。