邑南町の観光名所、歴史の紹介
ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。
正宗十哲の一人・出羽直綱の碑
古くから邑南町一帯はたたら製鉄が盛んに行われ、特に「出羽鋼」と称する鋼は「千種鋼(兵庫県)」や「印賀鋼(鳥取県)」と共に鎌倉・南北朝時代より全国的にも有名な勝れた鋼だったと言われます。
名前は「出羽鋼」ではありますが、その主たるものは「矢上鋼」であったと言われ、旧石見町の矢上を中心として作られた鋼を「出羽鋼」として出荷した模様。たたらは旧瑞穂町も盛んでしたが、それ以上に旧石見町の製鉄業は栄え、「矢上禿」と言われるほど山野はかんな流しで削られていきました。
それなら「矢上鋼」の名前で売り出せばいいじゃないか、と言われそうですが、実際に京都鎌倉方面に送り出したのは二ツ山城の出羽氏であったことから「出羽鋼」の名を持った、ということらしいです。
さて、鎌倉時代の名刀工・正宗は、この「出羽鋼」に目をつけ、十哲の一人である高弟・直綱に石見国まで行かせ調べさせました。直綱は、その非常に勝れた鋼に魅入られ、また瑞穂地区淀原にて揚刃水として使える良質な水を見つけたことで、この地に留まり、その後何代にも渡り刀工を行いました。
名前が分かる刀工も約80名にもおよび「出羽鍛冶」刀剣の歴史にも現れ、茎(なかご:柄で被われる部分)に「石州出羽鉄鍛之」と刻まれた刀も伝世しているほど出羽鋼はブランド品でした。
その出羽直綱の石碑が淀原に建てられています。(Googleマップ)
ちょっと分かりにくいので、ご案内しますと……。
町道からの入口(2012年の写真)
特に案内表示はありません。
2014年夏に撮影されたGoogleストリートビュー
案内看板が立てられていますね。
細いあぜ道を入って行くと……
「直綱の碑」がありました。
出羽直綱が住まいし刀工を行った場所の説には三カ所ほどあり、そのうち最も有力なのが、この石碑の場所なのだそうです。
特に管理されていないようで、
雑草や蜘蛛の巣だらけでした。
邑南町郷土館の出羽鋼関連展示
石州・出羽住の刀工一覧表
昭和20年9月、連合国軍総司令部(GHQ)が日本の武装解除の一環として、国民から押収した刀剣類を接収刀剣と言いました。
その後、文化財の公開・活用の推進を図るために、希望する自治体に譲与され、兼久、兼綱、兼貞の銘のある脇差2振、短刀1振が旧瑞穂町に譲与されました。
(撮影:2012年9月)
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