島根県邑南町の城跡

邑南町の観光名所、歴史の紹介

ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。

新旧断魚トンネルと旧道・旧旧道(廃道)

 邑南町井原にある名勝・断魚渓は、その名の通り魚の行き来すら断つほどの渓谷です。
 現在、国道261号線の断魚トンネルですっ飛ばされますので、その景色を存分に楽しむには、旧国道に入るよりありません。

断魚地図
赤線は現在の国道

断魚トンネルと旧道入口
 断魚トンネルの南入口から、左に入る道、
これが旧国道です

旧道の入口
断魚トンネル北出口の右方向が旧国道

切り通し
旧国道の切り通し
岩盤を砕く難工事だったんでしょうねえ……

旧断魚トンネル
旧断魚トンネルです

旧断魚トンネル内部
旧断魚トンネル内は、コンクリートが吹き付けてありますが、
以前は削った岩盤がむき出しでした。
古い時代のトンネルの面影を残しています。

断魚トンネル(隧道)開通時
旧断魚隧道開通時の写真
トンネルはかなり狭そうです

 この旧断魚トンネルが開通したのは昭和12年(1937)のこと。
 トンネルが開通するまではどうしていたのかというと、当然ながらトンネルを通らない川沿いに道がありました。
『石見町誌』によると、井原から因原に抜ける断魚渓の道は、明治29年に起工し、明治33年に邑智郡道が開通したとあります。明治から昭和にかけては、国土地理院地図にある点線道を利用していたのです。

旧旧道
断魚の旧旧道(明治開通の郡道跡)

昭和28年断魚地図
昭和27年の国土地理院地図より
(明治32年測量、昭和7年修正版)
地図上では太い幹線道路になっていますが……

昭和23年断魚写真
昭和23年(1948)の航空写真。

 さらに古いことを言えば、この明治郡道が通る前は、中野から弓張、牛ノ市を通って田津に出るか、もしくは井原から野原谷、空田を通って因原に出る「裏断魚」の道を通るしかありませんでした。
 つまり、断魚渓とは、魚だけではなく人馬を通すこともなかった険しい渓谷だったのです。
 それを井原野原谷の野田愼氏が道路開設の利便性と、断魚渓の観光地化を説いて運動を展開し、その起工に繋げたのです。

 さて、その明治33年に開通して昭和まで使用された郡道は、現在どうなっているのでしょうか。

断魚渓
現国道から眺めてみても、よく分かりません。


石垣が見えますが、どうやら水路のもののようです。

旧断魚トンネルを集落方向
まずは南側から行ってみましょう。
旧断魚トンネル入口から左に入り、断魚集落へ向かいます。

断魚地区の道
側面は、ゴツい岩盤がむき出しです。
明治当時も人力で削ったのでしょうね……。

旧道
急角度の斜面を必死に削って道を設けたのでしょう。

崖です
川側はほぼ垂直に切り立っています。
一歩踏み外したら、転げ落ちます。


つくづく、昔の人はすごいなあ……と思う。


左へ入れば八幡へ行きますが、
右の細い道へ入ります。


舗装の突き当たりまで来ました。
この先が、手つかずの旧旧道なのですが……

廃道
完全に薮化していました。
むう……これは突入し難いな……


突き当たりに来たついでに、そこにある二軒の民家を撮影。
空き家になっている模様。


断魚地区最奥の藤井家。空き家のようです。
実は昔、更に川を渡った奥にも一軒存在しました。

 南側、つまり断魚集落側からの旧旧道への突入は厳しいと判断して諦めました。
 では、北側、つまり獺越側からの突入を試みましょう。


獺越集落南端の植田家(空き家です)

廃道への入口
納屋の脇から入る道があります。

廃道
ありました、明治の郡道です!

明治の廃道
幅九尺あったと言われる郡道。
左側は切り立った崖っぽくなっています。

土砂崩れ
しばらく歩くと、土砂崩れで埋もれていました……。

 廃道マニアならば、これを乗り越えて行くのでしょうが、私はこの時そんな装備をしていなかったので撤退しました。次来る時は、廃道突入装備で参りましょう。

 明治にこの郡道が開通し、大八車を使って物資の流通が行われましたが、やはり険しい道だったのでしょう、人馬がよく転落したと言います。それを供養する意味で獺越側に地蔵が置かれたそうですが、その地蔵は現国道沿いに場所を移されています。

(2016年4月)

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