戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

管理人の覚え書き

 ここでは、当サイト管理人の城跡訪問の余談や、覚え書きなどを記しています。

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◆邑南町郷土館 展示物(江戸時代〜)

むしろ機

駕籠の由来について
この駕籠は江戸時代後期につくられたもので、邑南町で鈩を経営をしていた旧家に伝わるものです。この旧家は文久年間(1861〜1864)に鈩経営が最盛期を迎え、浜田藩はもとより薩摩藩、加賀藩等の用達に従事したと言われ、本駕籠は浜田藩主も旧家を訪れた時乗ったと伝えられている。(以上、展示説明書より)

鍛冶屋のふいご

鍛冶屋のふいご
【手前の説明書き】接収刀剣(赤羽刀)
接収刀剣とは、戦後間もない昭和20年9月、連合国軍総司令部(GHQ)が日本の武装解除の一環として、国民から押収した刀剣類のことです。
 押収された刀剣の多くは海洋投棄や処分されましたが、破棄を免れたものが東京都北区赤羽の米軍兵器補給廠に集められ(数十万本ともいわれている)、美術的価値の高い約5500本が選別され、東京国立博物館で保管されることになりました。これらの刀剣類は集められた「赤羽」の地名から、「赤羽刀」と呼ばれるようになりました。
「赤羽刀」のうち所有者が明らかなものは本人に返還されましたが、所有者が不明で今日まで保管されていたものは、文化財の公開、活用の推進を図るために、希望する自治体にこの度譲与されることになり、瑞穂町へは兼久、兼綱、兼貞の銘のある脇差2振、短刀1振が譲与されました。

久喜・大林銀山関連

銀山御用

久喜銀山

久喜・大林銀山
久喜・大林銀山は瑞穂地域久喜・大林地区に所在した室町時代から江戸時代にかけて栄えた銀山で、この地区には今日も銀などを採掘した150カ所以上の間歩や吹き屋と呼ばれた製錬所跡等が残っている。
久喜・大林銀山がいつ頃、誰によって開発が始められたのか正確なことは不明だが、銀山との関係が深かった佐貫家に伝わる文書、「邑智郡久喜銀山掘初根源」には「永禄三(1560)年温泉蒼山に銀鉱脈を発見し、十四年間盛んに採掘」とあり「その後小川惣助という人物が大横屋に四百尋の鉱脈を発見したため、以前に倍して盛んになった。その後盛んに開発されたが、間歩からの出水がおびただしくなり休坑となる。万治年間(1658〜1661)古い間歩を切り開き銀が算出するようになるが、出水がおびただしい。延宝七(1679)年大横相原間歩で盛んに採掘。天和、貞享年間(1681〜1688)より銀の産出が少なくなった。」とある。又、同家家系図写しには「佐貫家初代甚五衛門が建久年間(1190〜1195)に銀山を発見し、山神社と神宮寺を建立」とあり、鎌倉時代にさかのぼる。
この二つの文書に記載されている銀山発見の時代は異なるが、いずれにしても、十六世紀中頃、既に開発されていた銀山を再開発したか、新たに発見された銀山と言えそうである。 (以上、展示説明書より)

鉱石採掘用具

久喜・大林銀山の鉱石
輝銀鉱、黒鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、磁鉄鉱、閃亜鉛鉱などが含まれる

カンテラ
昭和20年代鉱山を再開発しようとした頃、使用されたもの

その他

廊下や外には、発掘された資料がそのまま無造作に置かれています。
このアバウトさが何とも言えません。

瑞穂町武道館

瑞穂町武道館
(旧田所尋常高等小学校講堂)
建築 昭和3年9月
この建物は和風建築に明治、大正時代に流行した欧州風のひさしをつけたモダンな建築物であった。正面には奉安庫を配置し終戦までは、いっさいの公的儀式はここで行っていた。
現在瑞穂町の公共建築物ではもっとも古いものである。 (以上案内板より)

(2010年4月)

 

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