島根県邑南町の城跡

邑南町の観光名所、歴史の紹介

ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや観光名所などを紹介しています。

石見の恩人「芋代官」こと井戸平左衛門正明の石碑

 邑南町の各地に建てられた石碑の中でも、特に目につくのが芋塚と呼ばれる「井戸正明代官の碑」です。
 多くが「井戸君」「井戸正明君」と刻まれ、最初見た時はどこの井戸君の墓かね?と思いますが、これは江戸時代に石見銀山領の代官を努めた井戸平左衛門正明の功績を讃える石碑なのです。

芋代官碑
邑南町矢上・諏訪神社の井戸正明顕彰碑
(大正10年造立)

 井戸正明は寛文12年(1672)に幕府御徒役・野中八右衛門重吉の子として江戸に生まれました。
 その後、勘定役・井戸平左衛門正和の養子となり、勘定役として各地の政務を勤め、享保16年(1731)に石見銀山領大森代官の任命を受けました。この時、正明は60歳。還暦を迎えての代官任命は異例のことで、これは大岡越前守忠相の推挙があったとも伝えられます。それほど有能な人物でした。

 井戸平左衛門は石見に着任しますが、この時の西日本は深刻な飢饉に見舞われていました。
 江戸四大飢饉の一つに数えられる「享保の大飢饉」です。この頃は長雨が続き冷夏となり、ウンカなど害虫の大発生で稲は実らず、悲惨な状況にありました。
 井戸正明は代官着任早々、この飢饉窮乏の為の施策に駆け回る事なります。

 そんな中、大森町栄泉寺にて諸国行脚の雲水・泰永から「薩摩国では凶作でも飢死する者はない」と聞きます。つまり「甘藷」と呼ばれる「サツマイモ」の存在を知ります。
 井戸はさっそくサツマイモの入手を試みます。
 当時の薩摩藩は厳しい鎖国体制を取っており、薩摩藩内の産物を他国へ持ち出すことは厳禁でした。そこを苦辛の末、甘藷百斤(約60キロ)を手に入れます。
 さっそく石見銀山領内にて種芋を分配し栽培を始めますが、季節が遅かった為にほとんどが失敗します。
 そんな中、釜野浦(温泉津町福光)の老農・松浦屋輿兵衛が試作と貯蔵に成功し、かろうじて種芋を残すことができました。これが元となり、石見銀山領内だけでなく、石見地域各地にサツマイモ栽培が広まり、飢餓にあえぐ農民を救う事になったのです。
 これは甘藷先生と呼ばれる青木昆陽が試作に成功し、将軍徳川吉宗に献上したことよりも3年も前のことでした。

井戸正明顕彰碑
邑南町中野横見の井戸正明碑
(昭和3年造立)

 サツマイモの入手が何とかできたものの、異常気象とウンカの大発生は続き、凶作は続いていました。
 幕府も畿内より西での救護政策を行いますが、窮困する農民たちは絶え切れずに、浜田など各地で一揆が勃発します。
 この非常事態に、井戸正明は幕府の許可を待たずして独断で代官所の蔵米を農民に分け与えました。
 更に年貢を大幅に減らし、大胆な人民救済の措置を取ります。人命を守るためとはいえ、幕命を待たずして行動を起こしたことは、当時とすれば正に切腹もので、井戸自身も相当の覚悟を持って行ったと伝えられています。
 このおかげで、石見銀山領内では一揆騒動も起こることなく、一人の餓死者も出さなかったといいます。

『徳川実記』によると、全国で「餓死者96万9900人」とあるほど壮絶な大飢饉だった訳ですが、代官・井戸正明の取った行動は大いに讃えられるべきことでした。

 その井戸自身、長年の過労から病に倒れ、兼務していた備中笠岡の陣屋にて亡くなりました。享保18年、正明62歳でした。

井戸平左衛門 顕彰碑
邑南町矢上・諏訪神社の井戸碑
(明治22年造立)

芋代官碑(満行寺)
邑南町井原・満行寺の井戸碑

芋代官碑(矢上)
邑南町矢上・小掛谷の井戸碑

 飢饉にあえぐ石見の地に、青木昆陽よりも早くサツマイモをもたらし、貧民救済の為に自分の命を犠牲にする覚悟で善政を敷いた井戸正明の功績を讃え、その後各地で石碑が建てられ始めました。
 それは石見地域全域から鳥取県の弓ケ浜半島まで分布し、果ては隠岐島まで総数四百を超えると言われます。
 最古は江津市太田の文化4年(1807)のもので、邑南町各所にも、明治・大正にかけて建てられた石碑が多く存在します。秋になると、収穫した芋を供えて井戸氏の恩を偲んだそうです。旧石見町内で最古のものは、中野長円寺にある石碑といわれますが、刻まれている年代は「享保十八年五月二十八日」と井戸正明が亡くなった日になっているので、詳細は不明です。

 思うに、石見の恩人として讃える為もあったでしょうが、相当後の時期になっての建立には、やはりその時その時の政治への不満表明の意味もあったのではないでしょうか。

 参考文献:『人づくり風土記 32』発行:農山漁村文化協会 1994

(2014年2月)

芋代官物語
「芋代官物語」という菓子もあります。
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