戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

管理人の覚え書き

 ここでは、当サイト管理人の城跡訪問の余談や、覚え書きなどを記しています。

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◆蟠龍峡と、女の悲壮な物語

 邑南町のお隣、美郷町には「蟠龍峡(ばんりゅうきょう)」と言われる名勝があります。


蟠龍峡の位置(Googleマップ)

 邑南町の人間からすると「ミニ断魚渓」と言いたくなる渓谷ですが、川の両側は垂直に切り立った岩に囲まれ、公園整備により岩の頂に登ることができるので、とてつもない絶景を楽しめます。

蟠龍峡
蟠龍峡

 峡谷の入口に、「蟠龍峡伝説」の題名で、中世にあった伝承を記した看板が設置されています。

蟠龍峡伝説

 写真ではよく分からないという方の為に、ここに書き出してみましょう。

 元和(1350年)の頃、この村之郷には小笠原長親という領主がいた。その家臣に玄太夫宗利という武士がいた。年若くして大器の才があり、長親は軍師として重用していた。
 足利勢との戦いで、最も功績のあった宗利に長親は、恩賞として側室を与え、宗利はその女性を本妻とした。ところが数年後、本妻は疫病にかかり、生まれもつかないほどの醜い顔になってしまった。
 その頃、宗利の小間使いに美しい女性がいた。宗利はその美しい小間使いに心が動き、次第に本妻を疎んじるようになった。本妻はこのことを嘆き、哀しみはしだいに恨みと化し、機を見てこの小間使いを亡き者にせんと思うようになった。
 ある日、本妻は宗利と小間使いを誘い、蟠龍峡へ散策に出かけた。三人は「明鏡台」の岩頭で一休みすることにした。小間使いが懐から手鏡を取り出して髪のほつれを掻き上げていると、背後から本妻がしのびより小間使いを岩から突き落とした。小間使いは、鏡に映る本妻のただならぬ気配を察し、落ちる瞬間に本妻の着物の袖をつかんだので、あっという間に二人は滝壺に呑まれてしまった。驚いた宗利が駆け寄ると、二人の女性は龍と化し、悲鳴をあげ、もつれあい争いながら落ちてゆく姿が見えた。二人の姿が消えたあとには、二人の抜け留まった髪の毛だけが松の枝に残されていた。宗利はこのことを深く嘆き悲しんだ。蟇田という所まで帰った宗利は、己の罪の深さに堪えきれず、ついに自刃して果てた。
 この蟇田には宗利の墓があり、その一帯にあやめの花が多いことから「あやめ塚」と呼ばれ、初夏には美しい花を咲かせている。不思議なことに、宗利の墓は、いくら立て直しても蟠龍峡の方へ傾くという。
 平成二十年五月 比之宮連合自治会

 正妻と小間使いの間に起きた嫉妬の争いから二人とも命を落とすハメに……。
 峡谷の名前となった「龍」は、この二人から来ているのでしょうか。そうなると「明鏡台」も、この伝説から来た名前のように思われます。
 宗利が自決したという蟇田(ひきた)は、峡谷からすぐ北にある田んぼのことなのですが、写真を撮るのを忘れました。

 案内の通り、村之郷には、後に温湯城に移って川本一帯を治めた小笠原氏の居城・山南城がありますが、それは別途紹介しましょう。

 ともあれ、蟠龍峡をご案内します。

蟠龍峡入口
駐車場完備。野外キャンプもできるそうです。
地元の祭りにも使われる広場です。

蟠龍峡 遊歩道
 垂直に切り立つ岩場に遊歩道が設置されています。

遊歩道
この造りはかなりスリリング。
足場の木板が腐ったら、どうなるんだろう……。

蟠龍峡
目の前には豪快な岩場がそびえています。
この頂上に登れるようになっています。

蟠龍峡 吊り橋
吊り橋を渡ります。

岩場
足下悪いです。
運動靴で登ることをお勧めしますよ。

高い
下を覗くと、足がすくむ高さ!
小間使いはこんなところから落とされたのかよ……。

蟠龍峡の祠
岩場の頂には祠があります。
ちょうど、風に吹かれて戸が開いていました。
中をのぞいてみますと……

蟠龍峡 手鏡
あっ!手鏡!
伝説そのまんまですね。

 素直な感想として、「ちょっと散策に行かない?」で出かけられるような場所じゃないです。踏み外せば、死あるのみの渓谷。とても女性を連れて遊びには来れないですよ、宗利さん。こんな渓谷に誘われた段階で、殺意を察してほしいものです。

 

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邑南町の城|中世・戦国の石見

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